はじめに
「曹洞宗の僧侶として一体何ができるか」私は長い間、模索してまいりました。
お寺に生まれ、お寺の子どもとして皆さまに大事にされながら、その道に進むことを躊躇した青春時代。自分のことしか考えられない長い日々を送っていたような気がします。
そんな私が(ようやく決心がつき)曹洞宗總持寺さまで、僅かな修行を積んで故郷のお寺に帰ったのは、二十八歳の時です。まだ師匠が元気なので、その手伝いをしながらのんびりとした日々を暮らしていました。仏教の何たるかを深く学ぼうともせず、二年が過ぎました。その間、ご縁があって結婚し、長女が生まれて初めて私の中の何かが変わりました。
「このままただ、日々を流れに任せて暮らすだけで良いのだろうか」と。
そこで幾ばくかの発心を起こし、曹洞宗宗務庁で開催されている布教師養成所で、「法話」の基礎を学ぶことにしたのです。
(中略)
爾来二十七年余、未熟ながら何らかの形で携わり、様々な場所で「法話」の展開を試みてまいりました。ここ数年は(僭越なことですが)、講師の立場で、布教師養成所の入所生の指導にも当たってきました。
さて世間の人々から「仏教の存在意義」を問われる今、身体と口(言葉)と心によって「仏法」(教え)を伝える「法話」の学びが何よりも必要だと考えます。一人ひとりの僧侶が、時と場所と相手に応じて、正しいお釈迦さまの教えを伝えていく。「その学びと実践の中でこそ、仏法の命脈が生き続ける」と私は信じています。この本は、私のささやかな経験に照らして、「法話」を学び、実践する過程を考察したものです。本書が、皆さまの参究の一助となることを深く願ってやみません。
お寺に生まれ、お寺の子どもとして皆さまに大事にされながら、その道に進むことを躊躇した青春時代。自分のことしか考えられない長い日々を送っていたような気がします。
そんな私が(ようやく決心がつき)曹洞宗總持寺さまで、僅かな修行を積んで故郷のお寺に帰ったのは、二十八歳の時です。まだ師匠が元気なので、その手伝いをしながらのんびりとした日々を暮らしていました。仏教の何たるかを深く学ぼうともせず、二年が過ぎました。その間、ご縁があって結婚し、長女が生まれて初めて私の中の何かが変わりました。
「このままただ、日々を流れに任せて暮らすだけで良いのだろうか」と。
そこで幾ばくかの発心を起こし、曹洞宗宗務庁で開催されている布教師養成所で、「法話」の基礎を学ぶことにしたのです。
(中略)
爾来二十七年余、未熟ながら何らかの形で携わり、様々な場所で「法話」の展開を試みてまいりました。ここ数年は(僭越なことですが)、講師の立場で、布教師養成所の入所生の指導にも当たってきました。
さて世間の人々から「仏教の存在意義」を問われる今、身体と口(言葉)と心によって「仏法」(教え)を伝える「法話」の学びが何よりも必要だと考えます。一人ひとりの僧侶が、時と場所と相手に応じて、正しいお釈迦さまの教えを伝えていく。「その学びと実践の中でこそ、仏法の命脈が生き続ける」と私は信じています。この本は、私のささやかな経験に照らして、「法話」を学び、実践する過程を考察したものです。本書が、皆さまの参究の一助となることを深く願ってやみません。
書籍情報
- タイトル
- 『法話の心得』-仏法を伝える人に-
- 著者
- 佐野俊也
- 初版発行
- 2019年5月12日 株式会社 心力舎
- 本体価格
- 990円(税別900円)
目 次
- 第一章
- 法話を研鑽する
- 第一節
- 「法話」は、何を説き示すのか
- 第二節
- 「法話」をどのように学ぶのか
- 第三節
- 「法話」は、どのようにして生まれるのか
- 第二章
- 現代と法話
- 第一節
- 自己と他者の距離をどう考えるか~人権問題と私
- 第二節
- 複雑な環境問題をどうとらえるか~縁起の法に照らして
- 第三節
- 「非戦」をどのように展開するか~戦争と平和を巡って
- 第四節
- 現代の人々に坐禅をどう伝えるか~身体を調える正しい法
- 第五節
- 社会の要請する課題に向かって~人々の心にどう向き合うのか